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ある講演会の記録

先日知り合いのI夫妻から久しぶりに電話がかかってきた。長年尽力をつくしてきた夢が実現されたそうでほんとうに嬉しそうにしていた。そこで以前他のブログで紹介して記事を投稿します。 こちらの原稿はIさんと相談して私が書き上げたものです。まったく予備知識がない方にはむずかしい内容かもしれませんが、戦中戦後、このようなできごとがあったことだけでも理解していただければ有り難いとおもいます。8月15日も近いですし戦中戦後の日本にこのような出来事があったことだけでも知っておいて頂けますと幸いです。

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講演原稿

日本の捕虜収容所について 皆さんこんにちは、○○から来ましたIです。今日は太平洋戦争中の捕虜収容所について、☓☓捕虜収容所と△△△捕虜収容所の二箇所の比較から、BC級戦犯として全国最多の法務死者を出した△△△捕虜収容所の特殊性を話したいと思います。

はじめに皆さんのお手元にレジュメがいっていると思います。今日はそのレジュメに沿って話していきます。また話の途中で幾つかの映画やドラマのワンシーンを流します。今日の話に関連している内容なので参考として観ていただければありがたいです。

さて、本題に入ります。日本の捕虜収容所について、太平洋戦争の始めは、日本軍が国民の予想に反して各地で戦果を上げ、占領地で約35万人の連合軍を捕虜にしました。

日本政府はこれらの捕虜を取り扱うために1941年末に陸軍省に捕虜情報局を設置しました。1942年6月、日本政府は国内の労働力不足を補う手段として、捕虜の一部を国内に移送して労役に使う方針をきめました。

同年末から翌年にかけて、函館、東京、大阪、福岡の4ヶ所に本所を開設して、傘下に分所、派遣所、分遣所を置き、主に鉱山炭鉱や京阪神の工場地帯に設置しました。

国内の捕虜収容所の組織は度々改編成され、大戦中に開設されて本所、分所、分遣所、派遣所などは、一時期は130ヶ所にもおよび、その一方、途中で閉鎖されるものもあり、終戦時には7ヶ所の本所の傘下に、81文所、3分遣所が残りました。合計32,414人の捕虜が収容されて、終戦までに3,500人が死亡しました。

捕虜の生活については、レジュメにしめしてあるとおりです。食事、衣服。労働、収容所によっては劣悪な環境と言われていますが、場所や収容された捕虜の受け取り方で変わりますので一概に劣悪だったとは言えないと思います。

それでは映画「戦場のメリークリスマス」のシーンをみて、捕虜と日本軍の立場を確認したいとおもいます。この映画は大島渚監督作品で、作曲家の坂本龍一さんやタレントのビートたけしさんが出演しています。 当時のマスコミから流れる情報ではカンヌ映画祭のグランプリ候補と言われていましたが、蓋を開けてみると、姥捨て山伝説を描いた今村昌平監督の「ながやまぶしこう」がグランプになってしまったというトピックスがあります。

それではお願いします。 映画「戦場のメリークリスマス」シーン1

△△△捕虜収容所

話を3の△△△捕虜収容所にうつらせていただきます。私は△△△にずーと住んでいまして戦時中は戦地に赴いていました。佛印というところで敗戦を迎え、連合軍の捕虜となりましたが、国際条約に守られて重労働もなく、食料も充分に与えられて46年5月に日本に帰ってきたという経歴をもっています。△△△捕虜収容所問題に強く関心をもった原因は過去の私の経験によるものだと思います。

そこで△△△虜収容所の件ですが、△△△捕虜収容所は1942年12月県内最初の収容所として開設され、シンガポールから移送されてきたオーストラリア兵約300人が入所しました。終戦後までの61名の捕虜の方が亡くなり、戦後その責任を取らされるという意味で8名の方がBC級戦犯として処刑されました。

8名という人数は、捕虜収容所関係のBC級戦犯の法務死者数として国内最多の人数であります。ですから日本の捕虜収容所問題を語るとき、△△△捕虜収容所での出来事は外せないと個人的には考えています。

当時の捕虜の管理の仕方は正しかったのか、それに伴い戦後BC級裁判等は公平に裁かれたのか、戦後60年経ってもまだ判らないことは沢山あります。私のような活動をしているとよくBC級戦犯の遺族の方や元捕虜の方にお会いします。

毎年☓☓市民が募金運動で立てた慰霊碑に皆さん御参りに来ます。皆過去の清算の仕方を模索しているのだと思います。 戦後60年経ちましたが、○○捕虜収容所や△△△捕虜収容所に関する市民活動はここ20年です。つまり私達一般市民は戦後、関係者や遺族を除いてこの問題に関して40年間無関心だったわけですよね。この部分が捕虜収容所の問題を問題以上に複雑にしている原因だと思います。いいですか、もし貴方のお父さんが、もし戦争で軍隊に行き、戦争が終わったら戦犯といわれて処刑されたら貴方はどう感じますか。貴方が子供だったら学校でどのような扱いを受けるか想像できますか。現在みたいにマスコミの情報が氾濫し、インターネットで世界中の人々と交信が出来ればよいですよ。当時の生活環境を考えたとき遺族の苦しみは想像出来ないと思います。つまり遺族も被害者なのですね。そして元捕虜も被害者。双方が被害者意識をもっている中で、そこから一歩進んだ過去の清算をしたい。そう考えると双方の和解が出来るのですが、やはり過去に蓋を閉じてしまいたいと考える方もいて無関心でいて欲しいと願う人もいます。歴史の検証を行ううえで、社会は残酷な記録を残していますが、それが作れた記録なのか真実の記録なのか確認する方法はありません。ただひとつ過去に対し関心を持って接していれば真実が近づいてくると思います。無関心では、歴史は一部の権力者の手によって作られてしまいます。無関心であってはいけませんこれが私の考えです。

次に○○協会のビデオを観たいと思います。○○協会の成り立ちと△△△捕虜収容所についてよく判ると思います。それではビデオお願いします。

○○協会紹介ビデオ ドラマ「私は貝になりたい」BC級戦犯の食事シーン 次に△△△捕虜収容所にいた捕虜の体験記を、○○さんから朗読して頂きます。

当時の捕虜の扱いかどのようなものだったかよく判ります。捕虜側の視点で書かれたものなのでその点を注意して聞いてください。

お願いします。 捕虜の体験記その1 捕虜の体験記その2 ありがとうございました。

BC級戦犯と捕虜、双方の虐待に対する受け取り方が違うと理解していただければありがたいと思います。一方だけの主張を受け入れてしまうのは危険だということですよね。双方の意見を聞いて事実かどうか判断する。判断する場合、判断材料に被害者意識などの感情が入ってしまうと話が複雑になり双方が被害者になり加害者になるという矛盾が生じてしまいます。太平洋戦争の捕虜収容所問題を考える場合、この点が大変重要なポイントではないでしょうか。

何故、△△△捕虜収容所で8名の法務死者が出たのか?

最後に映画「戦場のメリークリスマス」のラストシーンをみて、私の感想を述べて終わりにしたいと思います。 映画は、BC級戦犯として絞首刑を迎えるビートたけしふんする原軍曹が、元捕虜だったローレンスと会話をするシーンです。 映画ですが二人の会話の内容が非常にシビアです。それではお願いします 映画「戦場のメリークリスマス」シーン2 I氏が感想・意見を述べ終了。

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