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変形性股関節症体験談 インタビュー記事より

読売新聞の医療サイト ヨミドクターに歌手の前川清さんの股関節症に関するインタビュー記事が掲載していましたのでご紹介します。子供の頃からの経験談はほんとうに参考になります。この記事を読むと華やかなステージに立ちながら足の痛みと闘い続けていたことがよくわかります。ますますファンになってしまいます。歌手活動と並行してこのような話をもっとネット・TV・雑誌等にしてもらえると本当にありがたいと思います。

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変形性股関節症体験談

歌手 前川清さん股関節症(1)小3で右足痛 1年入院

「長崎は今日も雨だった」「そして、神戸」「中の島ブルース」「東京砂漠」……。歌謡グループのボーカルとして、数々のヒットを飛ばした。NHK紅白歌合戦の出場は、ソロも合わせると実に29回を数える常連だった。

澄まし顔のクールな歌手という当初のイメージは脱皮した。お笑いのキャラクターも定着して、舞台でも親しまれている。

「でも、もしあの病気がなければ、たぶん違った人生を歩んでいたと思う」
海軍の街として栄えた長崎県佐世保市に、4人兄弟の末っ子として生まれた。駆けっこが得意で、小学2年生の時には6年生より速かったという。

だが、3年生になると、右足が付け根から痛くなり、歩けなくなった。元気だった少年は1年も入院した。「右足にギプスを巻いて、ペニシリンを毎日注射された。それでも痛みは治まらず、右足を切断する、という話も耳にしました」。病名もよくわからなかった。

退院後は元看護師の母親におんぶしてもらって通学した。「落第しそうになったけれど、母が懸命に先生に頼んでくれたんです」

9歳違いのやさしい兄がいた。帽子を買えなかったためか、小学6年生で日射病のため若死にしている。だから両親は、兄の分もかわいがってくれた。その子を襲った突然の病気に、家族は心を砕いていた。
(2014年2月13日 読売新聞)


歌手 前川清さん股関節症(2)痛み治まり音楽の道へ

右足の付け根の痛みは、小学校の高学年になると一時治まった。スポーツが好きで、中学と高校では野球部に所属。長身だったので投手だった。

「でも、右足の方が細くて弱い。やはり本物の投手になるには、きつかった」
勉強がいやになり、親に内緒で高校を中退した。弁当を作ってくれる母に申し訳なくて、しばらくは山で食べていた。しかし、何日かして両親に知られてしまった。「おやじの寂しそうな顔が今も忘れられない」

両親が仕事の都合で長崎を出ることになったが、一人残った。食べていくためにと思い立ったのが、音楽の道だった。地元佐世保の米軍基地から流れてくるジャズやエレキギターに、若い血が騒いだ。

ギターに挑戦したものの、弦を押さえる手の指先が痛くてあきらめた。楽器がだめで、行き着いたのが歌い手。佐世保の夜の街で歌手のアルバイトを始めた。報酬は、カレーライスの食べ放題で十分だった。

その頃、長崎で音楽に興味を持っている人たちのあこがれだったのが「内山田洋とクール・ファイブ」。正式な歌い手がいなかったので、頭角を現してきた、まだ20歳前の若い歌手が誘われた。

「初めは楽器持ちのバンドボーイ。時たま歌うチャンスが与えられると、うれしかった。あの頃は、足の痛みも不思議となかった」
(2014年2月20日 読売新聞)


歌手 前川清さん股関節症(3)30歳頃から再び痛み

加入した「内山田洋とクール・ファイブ」が、1969年(昭和44年)にプロとしてデビューした。まだ20歳。それまで長崎から出たことがなかった。

「地元で十分に食べていけた。だから、全国ヒットの欲はなく、怖そうな東京に行くのはいやでした」
だが、大手プロダクションに移籍し、昼の人気テレビ番組に連日出演すると、たちまち売れ出した。その年のレコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場。それから毎年のようにヒットを飛ばした。

人気絶頂の「演歌の星」藤圭子さんと71年に結婚。しかし、1年で破局した。「お互い、まだ若くて、歌手だから、夫婦らしいことができなかった……」

1か月の舞台公演も行うようになった30歳頃、また右足の痛みが始まった。マイクを持って一本立ちの歌のステージとは違う、立ち回りが原因らしい。

「医者から足の手術を勧められたが、決心がつかなかった」。病名は「変形性股関節症」。上半身と下半身の継ぎ目で、足の付け根にある股関節。ここの軟骨がすり減ったり、骨の変形のため痛みが出てくる。小児期に股関節の治療を受けた人に多い。

断続的な痛みで、眠れない日もあった。50歳を前に再び手術を検討したが、グループから独立してソロ活動をしており、仕事への影響を考え、また見送った。
(2014年2月27日 読売新聞)


歌手 前川清さん股関節症(4)40周年の節目 手術を決断

芸能生活40年の記念公演が予定された2008年、ついに決断した。

50年来の“付き合い”で「いつか治さなきゃ」と思いながら、延ばしてきた右足の股関節手術。「激しい動きのある舞台は、痛みを抱えたままでは乗り切れない。途中降板でもしたら迷惑をかける」と考えたからだ。

手術では右足の付け根周辺の骨を削り、チタンの人工股関節を埋め込んだ。1メートル77の長身だが、実は痛い右足が左足より3センチ短かった。そこで、両足の長さがそろうように、人工股関節で右足を伸ばす調節も行った。小さな丸い痕がわずかに三つしか残らない、見事な手術だった。

半世紀も悩まされた痛みは、うそのように消えた。長年の平衡感覚が崩れたため、「初めはロボットが歩いているようでした」。

鏡を見ると、以前は少し傾いていた。「今度は両肩の位置もそろって、傾きがなくなったように見えますが、逆に、自分では傾いているような感じがしました」。慣れるのに時間がかかった。

自分の歌謡ショーでは、ステージから降りて観客の間を回る。「僕の歌で一人でも元気になってくれれば、それで満足です」。長崎時代に全国進出をためらったように、大きな欲を持たない姿勢は今も変わらない。(文・斉藤勝久、写真・加藤祐治)
(2014年3月6日 読売新聞)
(文・斉藤勝久)

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