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孤独なボウリング

今日6月22日ボウリングの日という。1861(文久元)年6月22日、英字新聞The Nagasaki Shoping List and Advertiser紙に長崎外国人居留地に日本初のボウリング場が開設されたと掲載されたことから、日本ボウリング場協会が1972年に制定した。

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ソーシャル・キャピタル

ボウリングというと以前あるシンポジウムで聞いたロバート・D. パットナム(Robert D. Putnam)の「孤独なボウリング」のはなしを思い出す。

孤独なボウリングは、ハーバード大学教授であるロバート・D. パットナム氏が、米国における「社会関係資本」(ソーシャル・キャピタル)の衰退について論じた論文である。

ソーシャル・キャピタル(Social capital、社会関係資本)は、社会学、政治学、経済学、経営学などにおいて用いられる概念。人々の協調行動が活発化することにより社会の効率性を高めることができるという考え方のもとで、社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念である。Wikipediaより
簡単にいえば地域コミュニティ、ボランティア・NPO的なものだと思うが、それらが多様でしっかり根付いている地域は、社会的に安定して経済的において好ましい効果になっているという。

地域づくり

人口減と九州 荒波に備え地域づくりを
2014/06/22付 西日本新聞朝刊

各種の人口推計調査によると、九州など地方圏を中心に人口減少と高齢化が一段と加速する見通しだ。事態を冷静に受け止めるとともに、地域の実情に応じた人口減少対策を着実に推し進めたい。
総務省が発表した昨年10月現在の人口推計で、労働者の中核となる15~64歳の生産年齢人口が32年ぶりに8千万人を割り込んだ。
有識者でつくる「日本創成会議」の試算はさらに衝撃的だ。2040年には全国自治体の約半数の896市区町村で消滅の可能性が高まると予測した。消滅危機は九州で125市区町村に上る。
試算は出産期の若い女性の減少や、首都圏への若者の集中傾向などを前提にした。現実的な視点であり、十分考慮に値する。
少子高齢化や働き手の減少は経済を縮小させ、地域の活力をそぐ。年金など社会保障制度の土台が脅かされ、行政サービスの維持も困難になる。九州各県が子育て支援など少子化対策、女性や高齢者の活用に動くのは当然である。
ただ成熟社会で人口が減るのはある面で自然の成り行きだ。過度に悲観するのは避けたい。少子高齢化の対策は進めつつ、ある程度人口減少を前提とした地域の在り方や政策を探る時期ではないか。
九州は13年の合計特殊出生率で宮崎など5県が全国上位10位に入る。住民同士で支え合う地域の機能も比較的健在で、子育て環境や介護社会への備えでは大都市圏より先行しているといえるだろう。
問題は若者流出が目立つことだ。13年の統計によると、短大や大学を卒業する20~24歳は九州全県とも転入者より転出者が多い。
東京一極集中に対抗し若者をいかに九州内にとどめるか。まずは県都など拠点都市への機能集積に取り組むべきだろう。周辺地域の理解を得るなど配慮も必要だが、若者に魅力ある雇用の場を創出するには、まとまった経済規模が欠かせない。
拠点都市で消費や福祉、医療、教育など高度なサービスを維持し、周辺地域もカバーしていく。そんな役割分担を可能にする自治体の広域連携を目指したい。
中小都市や町村は、地域づくりの軸足を見直す必要があるだろう。大型施設の整備より、地域の資源を生かす工夫や都市部との交流を促す情報発信など、ソフト面の対策を充実すべきだ。
首都圏などで働く人にUターンや移住を促す取り組みが九州各県でも始まった。受け入れ態勢を整備したい。長崎県新上五島町の民泊事業や宮崎県日南市の商店街再生リーダーの公募など注目される成果も出てきている。
物の豊かさだけでなく、心の豊かさが求められる時代である。地域の魅力や活力は、人口だけで推し量れるものではないはずだ。
人口減少の荒波に備えつつ、地域の個性をどう磨いていくか。住民とともに知恵を絞りたい。

隠れたピン

地域づくりは必要なのかと思ってしまう。本当に声を大にして言う必要があるのだろうか。人の流れは必然的なものである。その流れはある意味お金の流れであったり、もっと別の安全であったり居心地の良さであったり、時間をかけてゆっくりと形づくられていくものだと思う。何かその流れをある一部の人達が急速に自身の欲求を満たすために、地域を人質にとって地域づくり地域づくりと言っているように聞こえる。

人の意識の流れを把握することはむずかしい。それを把握して何か別のものに転化しようとする試み自体無理があるような気がしてならない。防災対策とか福祉政策等、近年地域コミュニティとか人と人のつながりが大切と言われるが、今ひとつピンとこない。目にみえないものを具象化することは、隠れたピンを倒す行為に等しい気がする。それこそ独り黙々とボールを投げ続ける行為ではなかろうか。

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