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腐ったミカンの方程式

 今日3月27日は俳優沖田浩之さんの命日である。1999年自宅で首吊り自殺を図り36歳で亡くなられた。くしくもその命日に彼の出世作ともいえるドラマ「3年B組 金八先生」の最終話がTBSにて放送される。しかも金八先生第二シリーズで加藤優役で共演した直江喜一さんも登場。TBSは意図して今日をシリーズの最終話の放送日として設定したのか、それともただの偶然か、その真相はわからないが因縁とはこわいものである。

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腐ったミカンの方程式で問題を解く必要がある

 
 沖田浩之さんが出演した金八先生の第二シリーズは、私が見た金八先生シリーズの中で一番面白い内容であったと思う。たしかにインパクトという点では、それまでの学園ドラマ常識をくつがえし教育問題を真正面からとらえた第一シリーズには及ばない。さらに第一シリーズは出演したタレントが皆トップアイドルとして旅立ち、最後に主題歌までもが大ヒットしたというおまけまでついている。でも内容というかストーリー的な面白さという点では、何といってもこの第二シリーズである。今なら流行語大賞にもなっているだろう「腐ったミカンの方程式」。腐ったミカンは、一緒にしておくとまわりのミカンも腐らせてしまう。だから外さなければ・・・・。日本人なら感覚的にわかる理論である。たぶん教育的視点では、「それは間違っている。腐ったミカンは外さないで、みんなで腐らせないようにしようよ。」という回答が正解なんだろう。

 
 以前、日本語のボランティア業界において先生呼称問題という運動が起こったことがある。日本語のボランティア活動は日本語教育ではないので双方が日本語をとおしお互いに学び学びあう関係でなければならないため、日本語のボランティアはただ教える先生でなく外国籍市民も教わる生徒ではない。だから案に「先生」という呼称は止めましょうというものだ。この考えは徹底している先生は徹底していて、「先生と呼ぶのはやめて」というが、何も知らない先生は当たり前のように「先生、先生」と呼ばれている。ボランティアもただ外国人に日本語の勉強のお手伝いをしているだけなのに、先生、先生と呼ばれているうちに何だか自分が偉くなったのかなと勘違いしてしまう。

 
 社会人になるといろいろなところで学校の先生に会う。良い先生もいれば、こんな人で大丈夫というような先生も多い。金八先生で問題となった腐ったミカンの方程式は教室内での領域であったが、それを社会全体の領域に拡張した場合、先生がもつベクトルとは何なんだろう。親?教育委員会?生徒?地域社会?文部科学省?どこに向いているのか。先生、先生と呼ばれるうちに腐ってしまうのではないかと思う。先生も腐ったミカンの方程式で問題を解く必要があるのではないかと金八先生のドラマをみてつくづく思う。

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