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自己紹介を兼ねて(再投稿記事)

先々月からちょっとアクセスが増えていますので、自己紹介という意味も兼ねて変形性股関節症に関する3つの記事を再投稿します。(注意:プール等でのトレーニング記事は省略しています。)

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自己紹介記事

○再投稿記事
・2月23日投稿記事「情報を得ること」
・3月7日投稿記事「35年前の手術」
・3月8日投稿記事「35年前の手術 その2 (入院時の記憶)」

2月23日投稿記事「情報を得ること」

変形性股関節症は、幼児期の股関節脱臼が原因とする臼蓋形成不全や、骨折等その他ものものの要因で股関節の変形がすすみ痛みが発生して歩行困難等生活に支障が出てくる疾患と言われていますが、この説明を病院のお医者さんから受けた経験がない。ここ数年もう病院に行っていない。1年に1回来院するかしないかわからない患者に、10分も20分もかけて説明をするほど医者は暇ではない。だから医者の気持ちもわからないではないけど、今考えてみると、ちゃんと説明がほしかったなとつくづく思う。

自身の経過

幼児期:股関節脱臼の検診 パス
7歳→左股関節手術
13歳→変形性股関節症診断。運動制限
18歳→身体の成長も終わったようだからということなので運動制限解除。普通の生活?
40代現在→よく言われる4段階の前期から初期(自己診断)
痛みはないけど、感じないだけでたぶん痛んでしょう。肩こり、筋肉痛がひどいです。

7歳のこの手術が原因だが、この手術のことがさっぱりわからない。
それと長期にわたって相談にのってくれる医者がちかくいなかったことが問題だったように思える。

私の場合は、関節の変形が激しいのに痛みがないケースだったから、医者も親もそっとしておいたほうが良いという感じだったのかもしれない。たぶん痛みがあって頻繁に病院に行っていたら、もっと正確な情報を10代のことから知りえたのかも知れない。

現代はインターネットや患者会等ボランティアの互助組織があり、様々な情報が入手できる。もし私が10代の頃、今のように情報が簡単に得られる社会だったらあの漠然とした不安は取り除けたかもしれない。うらやましいと本当に思う。

3月7日投稿記事「35年前の手術」

小学校入学を事前にひかえたこの時期に私は左股関節の手術をした。たまたまスキーに来ていた某大学の医学部の先生が執刀してくれたというが、くわしい経緯はわからない。当時、手術が決まるまでやたらレントゲン写真をとられた記憶が残る。後から聞いたはなしによると、歩行がおかしくなる原因がわかないために何枚も何枚もレンゲン写真をとり、その中の1枚にたまたま原因となるものがみつかっため手術に踏み切ったようだ。県立の病院で他県の大学の医学部の先生が、その大学から治療に必要な医療器具を運んで執刀してくれたというので、当時よく運がいい子だねと言われた。

今の知識と子供の頃に聞いた説明の合点がいかない。子供の頃、関節内部にゴミみたいない軟骨?ができて、それが大腿骨を押し出していたため、その軟骨?をとって大腿骨を中に入れたと安易な説明を受けていた。今考えると、病院の先生がよく私の股関節のレントゲン写真をみて「大腿骨がずりおちる状態」という表現をするので、たぶん何らかの原因で臼蓋形成不全になり、その原因をとりのぞき臼蓋に何らかの処置を施したのだと思う。

手術にかんしては、手術をおこなう前に特別なベットに脚を上に吊るされた状態で何日か寝かされた後(2日~3日?何日その状態だったのか憶えていない)行われたと記憶している。当時の記憶として。全身麻酔の匂いと手術がおわった後の気持ち悪さしかない。

30年以上前の術式であるから、今のものとは全く違うものだと思う。だから参考にならないかもしれない。当時私の両親は医者から、この手の病気は手術の2回3回は当たり前との説明をうけていたが、退院後の最後の検査でくだされた再手術という医者からの診断を医療費がかかるとの理由で無視して、それ以後の7年間は整形外科を訪れることはなかった。
あの当時、医者の診断どおり再手術をしていたら今の私の状態はどうなっていたのだろうか?結果論だが、ほとんど痛みが出てこなかったことを考えると手術をしなくて正解だったのかもしれない。それとも某大学病院の先生が凄腕だったのか、再手術をしていれば、もっと良い状態でいられたのかもしれない。今となっては、その因果関係の判断することは資料・カルテがないためできない。私にとっては永久の謎である。


3月8日投稿記事「35年前の手術 その2 (入院時の記憶)」

35年前の入院にかんして、もうかなり時間がたっているので記憶があいまいである。50日入院したらしい。手術後、石膏で左脚を全体をかぶせ、抜歯後、ある程度日数がたった後、ギブスで固定させられたようだ。ギブスをしていたのが入院中だったのか、自宅療養中だったのかは、記憶が前後してもうわからない。太股を内向きさせ膝からつま先にかけ外に足をまげるような形になる「くの字型」のギブスだったような気がする。だから私の左脚は内側にむいている。

入院中、退院後の専門のトレーニングルーム等に入ってのリハビリ訓練の記憶が全くない。家の戸のさん等につかまりながら移動していた記憶があるので、ギブスを取ったあとの何日間は歩けなかったと思う。そしてどうやって筋力がもとにもどって歩けるようになっていったのか、その記憶はほとんど残っていない。ただ6月から小学校に行ったのだが、その当時跛行がひどく、近所の子供がその歩き方をからかい半分面白おかしく真似ていたようだ。それを見た母がかなり憤慨したらしく数年後当時の様子を私に話してくれたが、跛行していたことから、やはり相当筋力は落ちていたと思われる。

あと35年前の記憶は、入院中、小学校の入学する前とのことなので、病室で「あいうえお」とひらがなの読みの練習を看護婦さんとしていたことぐらいで、ほとんど忘れてしまった。
義手の人、義足の人、足の針金を入れている人等、なにかたくさんいろいろな人が入院していたと記憶しているが、ほんとにぼんやりとした記憶だけではっきり思い出せない。

あーそうだ!手術前夜、「明日は手術だからたくさんたべようね。」と母と話してごはんを食べたことを今でも憶えている。それ以外の記憶は全部消えたが、何故かあのときの言葉が脳裏から離れない。

子供の頃の記憶はあいまいだが、不思議とある特定のシーンや会話だけはいつまでも頭のなかで生きつづけ消えてなくらない。たぶん死ぬまでその記憶は私の中で生き続けるだろう。若いころはその記憶がすごく嫌だったが、もう私のなかでは時効だよと、なにか最近はその記憶をよみがえらせて魂を入れてやろうと思う。記憶も私の一部なのだから認め私の大切な財産のように大切にしたいと思う。

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