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過去の報告書より③(対個人なのか、対コミュニティなのか)

今日はちょっといつもとはやり方を変えて、過去私が担当したボランティア事業の報告書を例にして変形性股関節症のことを考えてみたいと思います。

文化庁地域日本語教育支援委嘱事業 事業報告書より

「まちづくり」の視点で考えると日本語教育は基本的に地域住民でおこなう。しかし日本語教育は専門性が高く地域住民では難しいため、補完性の原則により日本語教育は自治体が行い地域住民は交流の範囲で日本語支援を行う。内容は日本語教室を対象にした昨年度の提言内容であるが、今年度はその視点を広げ、他分野の連携の視点を取り入れることにより日本語教室から地域コミュニティに論点をいかに広げるかが目的であった。

  今までの日本語支援を見た場合、想定は対個人の視点であり対コミュニティの視点はなかったように思われる。対個人の場合、言葉の問題はあくまで個人の問題であり個人の努力次第ということで議論が終わっていた。しかし実際のところ在住外国人は地域コミュニティで生活を行うため、対コミュニティの視点がない日本語支援は現実感の乏しいものになる。実際問題として在住外国籍児童の問題や国際結婚・離婚問題など、対個人のアプローチのみで問題を解決するのは現実に無理であり、その対応策として様々なコミュニティ・団体・行政機関との連携が課題となっている。

 様々な連携を考えた場合、今シンポジウムの内容から大別すると、個人に関するものなのか、コミュニティに関するものか、災害など特殊な状況に関するものか、それぞれのケースを想定して対応策を考えなければならないと思われる。

コミュニティの中の個人という視点で考えた場合、対個人のアプローチと対コミュニティのアプローチの2種類のアプローチが必要になってくる。しかしそれはシンポジウムにおいてコメンテーターが「大きなくくりの下の中に語学の支援、言葉の支援としてあるともっと連携をとりやすくなる」と言うように、言語政策のような「ある一定のくくり」が必要になると思われる。

 言語支援は地域コミュニティが行うものであり、多様な言語支援が行われることにより多様な地域コミュニティが新たに発生してくる。そのような地域をつくれるかどうかは、その「大きなくくり」にかかってくるように思われる。

個人とコミュニティと特殊な状況、想定別の言語支援を推進する意味で言語政策のような社会的なルール整備を日本語教育関係者に要望する。

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変形性股関節症 対個人と対コミュニティの問題

日本語支援に関するものである。対個人と対コミュニティの問題は、様々な分野における支援活動にも存在すると思う。もちろん変形性股関節症にもあると思う。さまざまな支援活動を行う場合、この2つのアプローチをどのように考えかでその成果が大きく変わってくると思う。

変形性股関節症の場合、患者の方は一部ボランティア団体等の属している方を除き個々バラバラであり症状も異なる。したがって個人の状況・病状に応じた対応が必要であるが、これとは別に社会全体やあるコミュニティ(例えば前期、初期、進行期、末期等の症状の段階別対応)への対応も必要になってくる。

このアプローチの違いは変形性股関節症に関連した様々なブログやHPをみるとわかりやすい。大別すると変形性股関節症の一般論を中心にした内容構成と私的なものを中心にした内容構成とで分けられるが、これが2つのアプローチの現象そのものではないかと思う。

社会全体・コニュ二ティ(患者全体)の状況(病状や社会的認識度、費用負担等)が良くなれば、結果的に個人の状況も良くなると思うが、現実はそうはならず個人は何故か置き去りにされる。そうかといって個人の対応を重視して対応しても患者全体が見えないため同じような症状を抱えた患者は増えつづけ問題の解決策が見つからないようにジレンマに襲われる。対個人なのか、対コミュニティなのか、私のなかではこの議論はこの病気がなくならない限り終わることはない。

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