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食人鬼(じきにんき)

今日9月26日は怪奇文学「怪談」でお馴染みの小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn))の命日である。小泉八雲は1904年狭心症により満54歳で亡くなった。怪談というと耳なし芳一や雪女等が有名であるが、その中に「食人鬼」(じきにんき)というお話がある。

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「食人鬼」(じきにんき)

「食人鬼」(じきにんき):あらすじ
 行脚していた夢窓国師は、深い山奥で道に迷い、日も暮れかけた時、庵を見つける。そこに一人いた老僧に教えられてようやく小さな村に行き着き、村長(むらおさ)の家で泊めてもらうが、深夜になって村長の息子が言う、「先ほど父が亡くなりました。村の掟に従い、村人は、死者があった夜は全員村を離れなくてはなりません。そうしないと、必ずたたりがあります。しかしあなたは旅でお疲れでしょうし、この村の者ではなく、お坊様ですから、お望みならここにお留まり下さい」。夢窓は村長の家に一人残り、村長の亡骸を前に読経しながら弔いの行を勤める。すると、突然金縛りに遭ったように動けなくなったかと思うと、もうろうとした大きなものが現われ、亡骸を食らい尽くしてまたいずこへともなく消えた。

 翌朝、戻ってきた村人たちにその夜の事を話すと、村に伝わる話と同じであると村長の息子は言う。だが夢窓が、あの庵の僧は死者の弔いをしてくれないのかと問うと、意外な答えが返ってきた、「そのような庵はありませんし、もう何代にもわたって、このあたりにお坊様は居られません」。

 夢窓国師が前夜来た道を戻ると、庵はすぐ見つかった。老僧は夢窓の前に両手をついて言う、「昨夜はあさましい姿をお見せしました。村長の家に入り込んで遺体を貪り食った化け物は私です。私は食人鬼なのです。はるか以前、私はこの郷のただ一人の僧でしたので、たくさんの死者を弔いました。しかし私は、それで得られるお布施の事しか眼中になく、その妄念によって、死後食人鬼に生まれ変わって、近辺で死ぬ人の亡骸を食っていかねばならなくなりました。どうかこんな私をお助け下さい!」。そのとたん、庵も僧も消え、夢窓の眼前には古い苔むした墓石があるだけだった。(wikipedia:食人鬼より)

食人鬼はホラー映画さながらの展開で描かれている。僧侶というと当時はある意味で有識者・エリートであるかと思うが、エリートがお金の欲に目がくらみ、その妄念によって死後食人鬼に生まれ変わって人の亡骸を食べていくというなんとも怖い話しである。

さまざまな欲

人間は常に自身の欲と隣り合わせで生きている。欲があるから人生が楽しいのかもしれないが、それが社会の特権階級であり権力を行使できる立場の人であった場合、その欲を追求されその影響を受けた人はとんでもない被害をこうむる。

日本社会にも食人鬼がたくさん生きていると思う。出世欲、名誉欲、お金の欲、それらに目がくらみ人々の亡骸を食らって生きるている人。もちろん法治国家だから亡骸は人の遺体ではなく、他人の生活ともいおうか財産というべきか、とにかく国民の生活を自己の出世や金銭の代償として食い物にしている人は数多くいる。

食人鬼を幻で終らせるか実在化させるかは、今後の日本人の行動で決まってくると思う。とにかく国民を食い物にしている人達を放置するのではなく懺悔の念を与え成仏なければいけない。今日9月26日は、小泉八雲の命日でもあり、そんな人達にとって良い記念日になりうる日である。エリートは国民を食い物にする食人鬼だった。そんな社会は本当に御免こうむりたい。

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